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おとん、わからんて:aftersun/アフターサン

「aftersun/アフターサン」を観る。

父と娘がつかの間の休暇を楽しむために旅に出る。どうもこの親子は一緒に住んでいるわけではないらしい。だからこの旅行は久々に父が娘に会えるまたとない機会でもある。娘は無邪気である、ビデオカメラでお互いを撮ったり、撮らなかったりする。旅先の海辺のホテルでの時間はゆっくりと流れていく。

「aftersun」のあらすじはこんな具合でサラリとしているのに、観ているとなぜか恐ろしく傷つく。

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びっくりする。この映画はおよそ衝撃的な場面もなく、何かジメジメとした感じのシーンも殆どない。画面は美しく、テンポもゆったりしている。およそ観客に牙を向くところがなさそうなのに、観ているとどんどん悲しくなるのに驚く。

そもそも序盤、旅先へ向かうバスの車窓を映すカットからそんな予感はしていた。夜の街の暗さと、その中を点々と飛び去っていく街の灯がとても綺麗だった。というか、異常に懐かしかった。こういう空気をどこかで見たことがある。トルコに行ったことはない。夏の感じが日本のそれと近いからかもしれないし、光の感じが似ているからかもしれない。夜行バスから見る風景とか、確かにこういう感じだったなーとか思う。綺麗な思い出なんだけどどっか寂しい。そういう絵がずっと続く。

見ていると悲しくなるのは、あるいは、子供の目線で大人の世界の片鱗に触れるこの映画の筋書きのせいかもしれない。娘・ソフィは旅先のトイレで大人の女性たち二人の会話を鍵穴から覗き見てしまう。女性二人は聞かれた事に気づくが子供だからと気にも留めない。ソフィは気丈な、まるで気にしていないような顔で手を洗う。そういうシーンがある。確かに向こう側には別世界があるが、入っていくことができない。向こう側からも拒まれている。そういう経験は誰しもあるし、思い返すと物悲しい。

 

旅先の光景はぜんぶ美しい。ずっと見ていたくなる。
抜けるような空の青さやソフィーの髪を一筋染める夕陽の光や、夕闇に褪せたような色を揺らす海の波や、父が娘の背にサンオイルを塗る姿や、そういう絵が徐々に心に積もっていく。につれて、悲しい気持ちになってくる。

それはこの親子の、この特別で美しい時間が一瞬のものだという事を観客は分かっているからで、父の側がどれだけこの時間に切実な想いを抱いているかがなんとなくわかるからで、しかし娘の方はその切実さの正体が見えないという距離感のせいだ。

ソフィーはこの時11歳で、大人の世界には入れない。旅先で大人とビリヤードに混じることはあってもお酒は飲めない、水球に混じってもダイブはできない、でも大人の世界には何か複雑な事情や情感があることだけはなんとなく分かっている。

そして、父が深く重い何かを背負っていることもなんとなく分かっている。ただしそこに踏み込むことは出来ない。父もそこへ踏み込ませようとはしない。表面的にはさらりとした筋書きの映画なのに、見るものと見られるものの緊張関係があって、観客も、子供であるソフィも、父の世界には入っていけない。

久々にあった父は腕に怪我をしているが事情はわからない、父は母と別れているがその細かいところもわからない。タバコは健康に悪いから吸うなと言う。その割に、自分はこっそり夜の窓辺で吸う、その矛盾の理由もわからない。父は娘を時に過剰に心配し、時にまるで何かを託すように未来を語るがその想いは分からない。

 

父はそこにいるのだが、そこにはいない。映画的にも不確かな撮られ方をする時がある。夜のベランダで背中を向けていたり、ついていないブラウン管テレビの画面の暗闇に映り込んだり、鏡の端にいたり、ポラロイドカメラで撮った一枚の中でぼんやり像を結んだり、まるで幽霊のような存在感でスクリーンに漂う。呼吸音だけがはっきりと聞こえる時がある。

そこにはいるが、何を思っているかはわからない。その「そこにいる」という絵は綺麗なのに、どこか通じ合えていない感じがまた寂しい。


すごく美しい映画なのに辛くなるのは、(月並みな言葉を使えば)近いのに遠い存在の相手と過ごした時間が、それでもものすごく美しくて貴重であることをこれでもかこれでもかと画面上の全てが主張してくるからだと思う。

海も空も夕闇も、風に揺れる枝葉もカクテルの甘い色も、どこか刹那的な感じがするのにすごく美しい。取り戻せない時間であり、相手を真に理解できなかった後悔は残るのに、それでも一緒にいられたという事を理由に美しい思い出として残ってしまう。そういう記憶は多分、誰にでもある。そういう記憶に触れた時の感傷を、この映画は美しい映像と音楽、穏やかな時間の組み合わせで魔術のように見事に立ち上がらせてくる。親子の旅なんていう一見とても私小説的な内容なのに、普遍的だし残酷だ。

見ているとキリキリ胸が痛くなる。何もひどいことは起こらないのに、映像が痛めつけてくる。それは確かにビデオカメラで昔の思い出を見るのに似ている。この映画は、ソフィが昔のビデオカメラの映像を見て当時を思い出すという構成になっている。全ては昔のことだから今更どうしようもない。どうしようもないが、そのどうしようもないことも含めて、困ったことにすごく綺麗な映画だった。