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2020年、観てよかった映画まとめ

誰しもが同じだと思うのだけれども、2020年は全然映画館に足を運ばなくなってしまった。代わりに配信サービスで映画を見ることが増えて、そうなると必然、新作ではない昔の映画を見る機会の方が増えた。観よう観ようと思って見れてなかった作品とか、全く観る気なかったんだけど視界に入って選んでしまったものとか。手軽な分だけ見る本数も増えて、結局数えてみたら2019年よりも多く観たことになっていた。とはいえ、映画館に足を運んで新作を観る体験に比べると、やっぱり何かが違う。映画館にもっと行きたかったなとつくづく思う一年だった。

 

 

・シュガーラッシュ・オンライン

 

一作目がゲームの世界、二作目がインターネットの世界という事で笑いのネタにはさらに事欠かなくなったシュガーラッシュ。一作目がポップでカラフルな世界で飾った王道な物語だったのに対して、二作目は世界観のキャッチーさはそのままに、もう一段と「自分自身」に向き合うような内容に仕上がっていた。インターネットが象徴する「繋がり」もしっかりテーマに絡んでいたし、なんだか物語的にはぎゅっと引き締まったような、変化球を丁寧に投げてくるような面白さがあって、個人的には今作の方が好き。

あとは、誰もが知ってるあれこれを扱った笑いの多さがとにかく楽しかった。特にプリンセス一行のパジャマパーティーはあれだけで短編作れそうな、絵的にも内容的にもインパクト大の面白さ。もっともあの豪華な声優陣をもう一度集わせるのは、それはそれで別の苦労があるのかもしれないけど。

 

 

 

 

・パラサイト 半地下の家族

 

2回ぐらい観たけど、観るたびに見えるものが変わる気持ちがする作品。とにかくあらゆる部分のディテールが細かくて、細部に到るまで計算され尽くした感じが観てて気持ちよかった。富豪家族に寄生する一家の物語というテーマは如何ようにも地味に描くことができるはずなのに、物凄く広がりがある話を見ているような不思議な感覚になる。役者陣の名演は一度転がり続けて止まらない展開に絶え間無く燃料を注いでいくし、端正な映像と音楽があの邸宅で広がる暗さに観る人をどんどん引き込んでいく。多分観る人によってどの要素が一番琴線に触れたかが分かれる作品だと思うけど、観るタイミングによってもそれが変わりそう。とにかく様々なものが詰まっているのに、破綻なく一つの作品に組み上げた監督の力量は、見るたびに恐ろしくなる。

 

 

 

 

・ROMA

 

映画館で観なかったことを後悔した作品。ある街で描かれる家族の物語で、実際のところ殆ど映画的なドラマチックなものはなく、むしろ他人の家庭のホームビデオに近いような大人しい映画。しかしその他人の家庭の物語が自分のことのように感じられる、景色や物音や流れる時間や陰影が全て自分が体験した物事のように感じ入ってしまうのが面白いところ。本当に大したことが何もないのに、なぜこんなに人の家の時間が神聖に見えるのか。例えば、別荘みたいなところで親戚一家と一日を過ごす場面があるんだけれど、一ミリも自分の人生と関わりがないのに確かにこういう時間を過ごしたような気持ちにさせられるし、夜の街に映画を観に行く場面では、とても昔にそういう体験があったようなことを思い起こさせる。そういう風に、一つ一つの場面が他人のことなのに、自分の人生を写し取っているみたいに親密に見えてくる。他人の物語がある種のきらめきを持って自分の中にはいりこんでくるのも一つの映画体験の素晴らしさだと思うけれど、そういう意味でとても良い映画。

 

 

 

 

・ミッドサマー

 

マジでもう二度と観たくない類の映画。この映画ばかりは映画館で観たことを後悔したが、もし家のテレビで観たら全然違う感じ方だったかもしれない。家ならテレビを消してしまえばいいが映画館だとそういうわけにもいかない。何が怖いかと言われるとよくわからないんだけれどとにかく怖い。怖いという心理とは、突き詰めれば、身の危険につながるものを、得体の知れないものから差し向けられている事への抵抗なのかもしれないが、ミッドサマーの場合はその得体の知れないものが人間や化け物というより、もっと巨大な文化や歴史みたいなどうやったって逃げも隠れもできないものである。明るい光や美しい色が恐怖や脅威の象徴に逆転して、心理的にも視覚的にも完全に逃げ場を失った状態でただただ真綿で首を絞めるように不安を注入され続ける。精神衛生上とにかく悪い映画だった。ただ、すごく綺麗な映画だったということも否定できない。

 

 

 

 

イージーライダー

 

勝手なイメージでおじさん二人が仲良くバイクで旅をするだけの映画だと思っていた。実際のところこのイメージは半分ぐらい正しくて半分ぐらいは間違っていた。おじさん二人がバイクで旅をするのは正しい、ただそれだけの映画というのは間違いだった。二人の旅はなんというか無目的で、乾いていて、その点でどこか神聖ささえ漂う。時代や文化や人の目や、人間の大群が生きていることで生じる軋轢や緊張や抑圧みたいなものを全て後ろに置いてけぼりにして爆走するために走る。自由とは何かを考えるためではなく、自由になるという能動的でシンプルな目的のために走る。それは同時に、この世間では自由になれないという事の確認作業でもあって、訪れるラストは伝説的なのかもしれないがひどく物悲しい。ヒッピー文化とかカウンターカルチャーみたいな文脈から生まれた映画なのかもしれないけど、自由をここまで声高に、しかし言葉少なに語る映画って最近はあるんだろうか。バイクで爆走するおじさん二人の姿に勝てる自由な絵面ってあるんだろうか。

 

 

 

 

ネオン・デーモン

 

田舎から出てきた娘が都会でモデルとしての立身出世を目指すものの、都会の悪意や毒気に当てられて徐々に生来の純粋さを失っていく物語。主人公のモデルをエル・ファニングが演じているのだが、元々あった悪魔的な魅力が都会の空気で爆裂開花したのか、それとも都会の空気が彼女を悪魔的にしたのか、どっちにも取れるような気はするのだけれど、魑魅魍魎の跋扈する地獄絵図をスタイリッシュな映像で切れ味鋭く写していくのがそういう事情とは関係ないぐらいにかっこいい。エル・ファニングは悪魔というよりは小悪魔な風貌なので、周囲の人間の人生さえ翻弄する暴力的な美、というテーマには欠ける気はするものの、「だって私かわいいでしょ」で足取り軽やかに憎まれ街道を進んでいく姿が絶妙に嫌味に見えすぎないのもまた事実。穏やかに美しく平和的にモデルの道を歩んでいたら幸せだったろうにと気の毒な気持ちになるキャスティングだったので、なお一層ラストの悲劇性が際立つのかも知れない。

 

 

 

 

・泣きたい私は猫をかぶる

 

元々映画館でやる予定だったものがコロナの影響でNetflixに配信に切り替わった作品。特段観る予定はなかったけれども結果的にそのおかげで触れることができた映画だった。青春ものでありファンタジーであり恋愛ものでありと鉄板要素を散々詰め込みつつ、三ツ矢サイダーを飲み干した後のような清涼感と爽快感で締める、実に気持ちの良い映画。猫になりたいと願っていたら猫に存在を取って代わられそうになる主人公のドタバタと葛藤それ自体も面白いのだけれど、ドラマを包む夏らしい柔らかな背景の美しさや、これを彩るヨルシカの楽曲との相性が抜群に良い。こういう映画って、映画館でかかると中高生向けのデートムービーに収まってしまうのが従来の常だったと思うけれど、Netflixで配給されたことによって、どの層にも広く届くことになったのかもしれない。それぐらい、青春ものなんだけれども特定の層に向きすぎていない映画という感じがした。

 

 

 

 

・ハーフ・オブ・イット

 

こちらもNetflix作品。アメリカの片田舎で暮らす中国系アメリカ人の話。そういえば上にあげたROMAもNetflixだった。たまたまかもしれないけどもこういうマイノリティーというか、これまで大々的に公開される映画の中心に抜擢され辛かった人達の映画が最近は増えている印象がある。ハリウッド的な配給システムではない新しい枠組みの中で、新しい種類の映画が生まれてきているのかもしれない。

The half of itは人種的マイノリティや性的マイノリティをテーマにしつつ、文通を主軸にして心を通わせていく人たちの姿を、片方では恋物語として、もう片方では友情物語として見せる。文通といえば言葉のやり取りでもある。異なる立場や考え方、それは例えば文化的背景の違いや性的嗜好の違いや生きてきた時代の違いなど、そういう「異なるものたち」同士が同じ言語で通じ合うことで相互理解を試みる手段でもあり、この映画はそういう異なるもの同士が通じあう時のカタルシスを青春映画らしくサラリと描いていく。アメリカ中西部の田舎でここまでマイノリティが混じり合っているにも関わらず、こんなに良いやつしかいないってことはないだろうと突っ込みたくなる気持ちもあるが、それでもやっぱり、お互いが通じ合う瞬間の美しさを、たとえファンタジーだと言われても正面から描こうとしたその気概は素敵だと思う。

 

 

 

 

・ドリーミング村上春樹

 

村上春樹ガチ勢が作った映画だと思う。ドキュメンタリー映画として、村上春樹作品の翻訳を担当する方に密着する本作は、言葉という壁の向こうにある文化、ひいては自国と異なる世界に繋がろうと試みる翻訳者の静かな戦いを描く。この作品自体が非常に村上春樹的というか、現実世界から異国の世界へと踏み込み、そこで得られる物語を不条理な現実へ対抗する手段として勝ち取っていくドラマの構成自体が村上春樹の諸作品に通じる印象があるし、なんなら映像的にも意図的に村上春樹作品のモチーフ(二つの月、蛙、森、などなど)を散りばめていて、全編をリスペクトで満たすことを隠そうとしていない。ただどちらかというとこういった諸要素はある種の遊びの部分で、本筋は言葉、または異国文化を理解しようと格闘する事のハードさ、何かを表現しようと試み続ける事への敬意にあって、そこにこそ作品の感動の源泉があるような気がする。だから、村上春樹について語りながら、村上春樹本人が出演しない本作であっても、十分見た後の余韻は強かった。

 

 

 

 

鬼滅の刃 無限列車編

 

初日に観にいったら熱気がすごかった映画。アニメシリーズの続編がここまでヒットするとは誰が思っただろうか。劇場版、という表現にふさわしく、映像も音楽も演出もテレビ版から格段にパワーアップしていて、その贅沢さがただただ快感だった。原作を読んでいたから話自体は知っていたのだけれど、やっぱり映像になると、活劇の面白さがぐんと際立つ。

前後してディズニー作品をいくつか見てたからかと思うんだけど、社会的なテーマや時事問題みたいなものをある意味で全然意識されていいないのが却って新鮮だった。そういう要素で観客と作品との距離感を近づける工夫が無い、にも関わらず一直線に心を刺してくる。迫力と感動だけで戦ってくる。まっすぐ来たからまっすぐ受け止めるしかなかった。時代と照らしてどうこうみたいな論評が上映形態や配信との相性みたいな話ばかりで、作品そのものの批評的な記事とか解釈をがあまり出て来づらいのも、作品のまっすぐさの表れかもしれない。

 

 

 

 

・バーニング 劇場版

 

原作は村上春樹の短編「納屋を焼く」。原作の薄気味悪さを完全に残しながら、舞台を現代の韓国に移すことで、原作短編とはまた違った質感の作品になっている。定期的にビニールハウスを焼いてまわるという青年の言葉が気持ち悪い。それが嘘か本当か分からないから、ずっと現実と虚構が入りじるような感じが続く。ミステリーと呼ぶにはあまり正解を提示することに積極的でないように見えるのは、現実に普通に存在する謎、もしくは現実の得体の知れなさの方をこそ描きたいからなのではないかと思えてしまう。たぶん何度か見ることでまた感想は変わるのだろうなと思うのだけれど、一方で1カット1カットがずっしり重く響いてくるし、作品の空気感というか毒気みたいなものに当てられそうになる映画なので、見返すことをやや躊躇してしまう。

 

 

 

 

・ムーラン

 

これもっと早くに見ておきたかった。話の大筋は知っていたのに、いざ時間をたっぷりかけて話を追っていくと凄く胸にくるものがあった。何か、あるいは誰かになろうと姿や気持ちを偽って無理をすることの不毛さや、外側ではなく内側で勝負して受け入れられていくこと、、という風に言葉にすると凄く現代的なテーマに感じるんだけれど、それを今から何十年も前にやっていたことが驚き。ディズニー映画としての見易さはもちろんなんだけど、今でも十分通用する話そのものに惹かれてしまった。そう考えるとムーシューの存在はやや古いというか、ディズニー映画的なフォーマットにするための条件みたいに感じられてしまうから、実写版でいないというのはもしかしたら良い判断だったのかも知れない。実写版はまだ見ていないのだけれども。

 

 

 

 

・ソウルフル・ワールド

 

結局この作品もディズニープラス独占配信になった。最近のピクサー作品ってすごく個人的な話を映画にしているような印象が強くて、今回も「生きる意味」というある意味では扱いづらい、けれども誰もが生きていく中で絶対に向き合う事になるであろう内容をテーマにしている。ピクサーらしからぬちょっと複雑な設定や抽象的な世界観はあれど、それが気にならないくらいに話をぐいぐい持っていく力量も凄いし、後半の「これまで見せてきた絵が全然違った風に見える」展開からの「その驚きがそのままテーマに一直線につながっていく」時の感動はピクサーらしい丁寧さと大胆さが入り混じった演出で凄まじかった。どこにでもいそうな人間が主人公になったことで、誰にでも届く普遍的な話になっていて、やや大人向けな感じはするけれど、その渋みがまた良い。