36℃

読書と映画と小説と、平熱的な日々のこと

優しくてか弱くて可愛くてうざい:「おいしいごはんが食べられますように」

 
職場ものである。そういうジャンルがあるのかどうかはわからないが、便宜的にそう呼ぶ。仕事ものとは少し違う。仕事の興奮やドラマを描くのではなく職場という小さい、限定的な世界のささやかな感情の揺らぎを掘って掘って掘りまくるタイプの小説。その掘り方が豊かで、ともすれば寂しいとされる心を書いているのに、不思議と読んでいてぐいぐい心が動く。

 

どこにでもいる人、という言葉は半ば肯定的な意味をもって登場人物の説明文句に使われがちだが本作は逆で、どこにでもいそうな「絶妙に、微妙に」うざい女性社員をめぐり、この子に嫌がらせをする共犯者の二人を描く物語。
この二人、片方はなんとその子の彼氏だし、もう片方はその彼氏の方になんとも言えない微妙な親近感のようなものを抱いている。だから三角関係といえば三角関係だが、ホワホワしたところがまるでない。といってイジメもののような辛辣さがあるでもない。まっすぐな文体で、この「魔が差した」二人の感情の機微を淡々となぞっていく。
 
文章がうまい。奇をてらったところは全然なくて、まっすぐ、そこにあるものを、心の動きも含めてはっきりと目の前に示されるような描写が続く。人同士が向かい合って喋っている時の微妙な空気感、特にお互いに本心を隠しあってしゃべる時の茶番っぽさとか、小さな小物を挟んで人間同士の感情が動く瞬間とか、ものすごい解像度で「普通の世界の嫌なところ」を描いている。世の中にいくらでも転がっていそうな嫌な世界。だからこそ共感できる。
 
好きな文章に線を引いていた。
「自分で作ったあったかいものを食べると、体がほっとしませんか」
しねえよ、と二谷は振りかぶって殴りつけるような速さで思う。
振りかぶって殴りつけるような速さ。バシッではなく、苛立ちを身にじんわり溜めてから殴る速度。このゆっくり加減がなんか生々しい。こういう生々しさが続く。
 
 
この小説の中心人物の一人、「絶妙にうざい」彼女こと芦川さんは、か弱くて優しくて可愛い。頭痛ですぐ休むのに、その翌日にはお詫びと称して家でお菓子作ってもってくる。いやお菓子作る元気はあったんかい、みたいなギザギザした感じの疑問符が終始浮かぶような子だが、この芦川さんに絆される職場の面々と、芦川さんが休んだり、できなかったり、誰かに優しくされる時にその犠牲のように仕事をつまされる共犯者かつ主人公の二人、二谷と押尾さんペアとの間には確かな温度差がある。
 
芦川さんは一般的には良い人なのだ。読んでいて、そういうことが読者にはちゃんと伝わってくる。か弱くて優しくて守るべきものなのだと、そういう風に職場の皆が合意している中、その彼女を許せないのは心が狭いのだろうか、貧しいのだろうか。彼女に苛立つ二人は、そして巧みな文章でその苛立ちに共鳴してしまう読者は、これも一般的には、心が貧しいということになるのだろうか。
 
確かにしっかり毎日ご飯を作る芦川さんに比べて、カップ麺やコンビニ飯で食事を済まそうとする二谷の食生活が一般に貧しいとされるように、優しくか弱い芦川さんに苛立つ二谷も押尾さんも貧しい心なのかもしれない。でも、こういう心の動きを美しい言葉と巧みな描写でしっかりすくいとってくれる小説を読むと、こういう貧しいとされる心もあって良いのだと言われているような救いを感じる。そこには確かにそういう心が存在しているし、あるいは我々の多くが何かの拍子に思ったとしても黙殺してしまう感情だが、誰にも分かち合えない感情が紙面に生き生きと踊っているのを見ると、そういう「貧しさ」「心の狭さ」をそれとして切り捨てるのではなく、そのものとしてそのまま受け止めても良いような気持ちになる。二谷も押尾さんも、そういう嫌な感情から逃げるのではなく向き合っていこうとするから、毒っ気のある小説なのに読んでいて不思議と気持ちが狭くなっていかなかった。
 
誰かが弱い分は誰かが戦わなければならない。それは分かる。でもそうやって代理で戦うものたちへは温かな目線はほとんど向けられない。お互い助け合わなきゃとか、仲良くやらなきゃとか、集団の甘ったるい空気に足元を救われて感情を黙殺されている存在が二谷や押尾さんで、その姿は何も異質ではない。その姿は、現実のそこかしこで今も「誰かのために」戦う誰かの姿に重なっている。
二谷も押尾さんも、優しい。自分の優しさに追い詰められている。だからこの嫌がらせは、ある意味で自分との戦いでもある。あらすじ自体は後ろ暗い話なのに、どこか無視できず応援したくなる不思議な引力があるのは、根本にこういう優しさや自分の解放みたいな切実なテーマが感じ取れるからかもしれない。
 
職場ものだが、ずっと登場人物達が現実的な、手のひらに刺さったトゲみたいに小さいけど気になることと、切実に戦っている。
最後に二人それぞれがこの状況に答えを出すが、どちらも納得感がある。これもやっぱり、世界のそこかしこで今も起こってる、現実への歯向い方なのだろう。
小さな職場の小さな話だし、やっていることはせせこましいのに、なぜか他人事に感じられない。そういう意味でも豊かな世界観のある小説だった。