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ノルウェイ製の家具

ビートルズの「Norwegian wood」をノルウェイの森と訳すかどうかについては色んな意見があるそうだが、先日映画「ノルウェイの森」を見直して、エンドロールで流れる原曲が思った以上に全然「森」っぽいことを歌っていないと気づいた。やっぱりどちらかというと「森」よりも「家具」の方がしっくり来る歌詞である。ただ、映画はもちろん、村上春樹の小説の方も、「家具」ではなく「森」の話だという風に感じるし、むしろそういう風にしか見えない。その曲の印象は、深い森の中で迷っているような気分、と作中で語られる。

 

映画版ノルウェイの森が良かったかどうかについては色んな意見があるそうだが、個人的にはとても好きでDVDも買った。なんなら公開日初日の初回を観に行った記憶がある。朝の早い時間に起きて自転車を漕いで近所の映画館まで行った。風がすごく冷たかったのを覚えてるし、朝の映画館はいつも行く時に比べると全然人がいなかったし、上映前の暗闇はいつもより暗く見えた。人の存在感がない映画館は、すごくしんとしている。肝心の映画版ノルウェイの森は、始まった途端になんだかホッとした。ゆっくりとした時間の流れと鮮やかな画面が印象的な映画で、良い意味で大ヒットさせることを狙っていない、美術館の片隅で流れてる映像作品みたいな、慎ましくていい映画だった。良く言えば俗っぽくなくて、分かりやすく感動的な話になっていなくて、仮にそんな風に作られて原作の持ち味みたいなものが大きく変わっていたらどうしようと思って不安だったのだ。まあ杞憂だった。

 

それから10年以上経って今回ブルーレイ版を買ったのは、DVD版にはないエクステンデッド版が付いているのを思い出したからだった。エクステンデッド版は劇場上映版より十数分ぐらい長い。編集も違うし、追加カットもあるし、何より映画のテンポ感がゆるい。BPMが違う感じがする。時間の流れが凄くゆったりしている。この映画、時間が流れていくということがとても残酷に見える。生きるというのは時間の流れに乗るということで、時間が流れると死んだ人からはどんどんと距離が離れていく。死んだ人へ抱えていた思いとか色んなものが徐々に薄れていく。変化することの暴力性や、生きていくというそれだけで生じる辛さとか、そういうものに傷ついていく若者の脆さとか。まあとにかく観てて辛くなる。映像や空気感が綺麗でなかったら相当救いがない。そういう救いのなさが、真綿で首を絞めるように攻めて来る。時間の流れが劇場公開版よりもゆっくりだから、もっと残酷である。

 

公開当時、誰かが貴族の話だという風に評していた。いま見て、確かに、と思った。この映画は街の風景を描くシーンが殆どない。若者たちは社会の空気みたいなものから距離を置いている。経済的にも困窮しているわけではない。激動する時代の暴風から守られて、宮殿みたいに美しい部屋と部屋を行き交っている。内省的に悩むことを許されたモラトリアムな世界で、しかし、血の涙を流しながらギリギリなところを生きている。皆、ちょっと押したら危ないところに転がり落ちてしまうようなギリギリなところにいる。学生時代に見た時より、なんだかこの映画の怖さがちゃんとわかった気がした。一つの要素が崩れたら全てのバランスが壊れそうな、そういう緊張感がずっと続く。ホラーではなくサスペンスの怖さだった。不器用な若者がナイフを持ってぼうっと立っているのを見るような映画。そういう風に見えたのは、初めて見た時から随分時間が経ったからかもしれない。

 

こんなに怖かったっけ。昔もそう思ったか、もう覚えていない。時間が経つというのはそういう事なんだろうと思う。初日初回に見に行って、いい映画だったと思ったのは思い出せるのに、怖いと思ったかどうかがわからない。朝の街が寒かったということの方を、ずっと鮮明に覚えている。