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ドット絵のゲーム

最近遊んだ「198X」というゲームは、80年代の「いつか」を舞台にした物語で、家庭環境に問題がある主人公が町のゲーセンに入り浸り、古き良きアーケード筐体のゲームに入れ込むことで現実とのバランスを取っていくという筋書きだった。たぶん。

たぶん、と曖昧になるのは、このゲームが物語を語るに際して、あまりテキストを用いないからだ。画面を彩る色鮮やかで細かいドット絵はほとんど職人芸の域だし、そんなドット絵で主人公の生活の一端が折に触れて描画されるものの、付随するのはどこか抽象的で詩的、悪く言えば情報量の少ない主人公の独白のみ。高校生であるところの彼が家庭や学校、というか青春生活全般にちょっとした問題を抱えているらしい事はわかるが、具体的にその原因が何かは明かされない。学校でほのかに憧れの眼差しを向ける女子がいることはわかるが、その女子がどんな人格なのかも全く分からないままである。そういった分からないことだらけの物語は、陰鬱で尖った雰囲気の日常風景と、悶々とする主人公をドット絵で描く以上のことはせず、代わりに雄弁に語ろうとするのは、幕間に挟まれる昔懐かしきゲームの方である。というかこっちの方が、この作品の本体なんだろう。80年代に流行った数多のゲームを参考に、シューティングやレース、横スクロールアクションなどそれっぽいゲームをプレイさせられるのだ。

プレイヤーはこれらの時代がかったゲームを通じて、主人公が感じた開放感や悔しさ、疾走感、焦り、未知の世界への興味など、あらゆる感情を追体験させられる。言葉で物を語るのではなく、スティックとボタンでもって思春期の少年の心の揺らぎや苛立ちを体感させられるというのはなかなかに特殊な体験だった。なんてことないレースゲームをやっていたのに、唐突にその疾走感が強くクローズアップされ、そのまま「どこか知らない街へ飛び出してしまいたい」という独白と地続きにつながった時は、おお、と思わされた。当時の人も、こんな気持ちだったのかもしれない。あるいは今でもそういう気持ちでレースゲームのハンドルを握る人が、どこかにきっといるんだろう。

ドット絵がきれいなゲームだった。でも、80年代当時のドット絵がこんなにきれいだったわけがない。もうちょっと荒かったはずだ。それなのに、ここは忠実に再現することなく、むしろ強く鮮やかに描くのは、当時のゲームセンターで初めての世界に触れた人々の感動や衝撃、その目に映り込んだドット絵がどれだけ鮮やかだったかを語りたいがためなんじゃなかろうか。そういう風に思えた。

ドット絵に詳しいわけじゃないので、語るほどの言葉を持ち合わせていないのだけれど、同じようにドット絵系のゲームで「To The Moon」をやった。これはどうもRPGツクールで作り上げたらしく、最初に起動した時の印象はまるで「スーパーファミコン時代のゲーム」だった。見下ろし型の画面で、小さなキャラクターたちが、画面を上下左右に動き回り、相対した人と会話することで物語を進めていく。オールドアンティークな様式といえばそうかもしれない。ところが、実際に始めてみたら、この様式だからこその物語のテンポの良さに引き込まれ、時間が経つごとにどんどん立ち上がってくる物語の筋にのめり込んでしまう。

「月にいきたい」と願う今際の老人の夢を叶える物語だが、なぜ彼が月にいきたいと思うのかは全く謎のまま進むので、これが駆動輪になって物語がぐいぐい進む。3Dでもなんでもないからロードも早い。カメラアングルが変わったりもなく、舞台劇のように見下ろし型であることが変わらないので、ぱっぱっと画面が次へ進む感じが気持ちいい。そこへ伴奏するのは、やっぱりドット絵である。ドット絵だからそんなに顔がはっきり見えるわけでもないし、景色の描写も昨今の3Dのゲームと比べれば全然違う。でも、ある時にはその顔がものすごく複雑な表情を見せるように感じられるし、夜空や月、夕焼けといった景色の描写が3Dのそれ以上に胸に迫って感じられた。当たり前だけど、死ぬ間際に月に行きたいと思う人に、複雑な感情がないわけがない。

不思議な感じだった。「To The Moon」は空想をたくましくさせるゲームだ。なぜこの人は、月へ行きたいと願うのだろう。なにがそうさせたのだろう。どうやって月へ連れて行くのだろう。SF的なギミックやポップカルチャーへのさりげない言及を織り交ぜ、かつ笑いと涙の緩急へ細心の注意を払った物語が、ゆるやかなアクセルでずっと前へ進んでいく。この気持ち良さに、本当にドット絵がよく合う。主人公たちと同じ目で世界を見れないから、少し遠く離れた位置で俯瞰してそれを捉えているから、解像度は現代らしい鮮やかさではないけれど、それ故に頭の中でいろんな景色や表情や声が再構成されていく感じがする。そうやって紐解かれていく「理由」は、ものすごくドラマチックだった。

昔、手塚治虫の「新宝島」の斬新な表現手法を称して「漫画が動いている」と述べた子供がいたそうで、その気持ちが凄くわかった。なるほどこれは動いているし、生きている。どこまでも奥深くて、どこまでも鮮やかだなと思った。