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ゲームを捨てよ、森へ出よう:ライフイズストレンジ2

続編とは因果なものだと思う。続編とは悲しいものだと思う。続編とは難しいものだと思う。作る側も、受け取る側も、いつだって前作が念頭に置かれてしまうのが続編の宿命だが、同じことをやれば二番煎じと嘆かれるし、違うことをやれば期待を裏切ったと言われかねない。前作や前例がなかった頃に戻れたら、、と夢みるのは、作り手はもちろん、受け手だってそうだろう。

 

多数の賞を総なめにした「ライフイズストレンジ」の続編ということで、発売前からものすごく期待が高かった本作も、そういう「前作の呪い」が付きまとったと思う。前作で評価の高かった要素をことごとく捨てて、真っ向から新しいことに挑戦しているように見える本作を遊ぶのに、期待以上に不安がなかったといえば嘘になる。「ライフイズストレンジ2」は一見すると、前作と徹底的に逆の方向に舵を切ったように見えるのだ。ただ、面白いのは、プレイし終わると、そこに紛れもなく「ライフイズストレンジ印」が見えてくること。なんなら前作の主人公たちの顔すら浮かび上がってくるように見える。違うんだけど確かに同じ。この矛盾した感じが、物語の深さとあいまってすごく印象的だった。

 

 

 

前作の話を少しすると、「ライフイズストレンジ」は、アメリカはオレゴンの高校を舞台に、ひょんなことから時間を巻き戻す能力を手にしてしまった女子高生マックスの物語だった。オレゴンとはつまりは片田舎であり、さらには「学校」が物語の中心になるから、決して広い世界観ではない。それでも、「時間操作」の能力を使って、複雑に絡み合う人間関係を徐々に浮かび上がらせる構成は、たとえ大きなシチュエーションの変化がなくとも、物語に凄まじい奥行きを与えた。

息遣いまで聞こえるようなディテールにこだわった学校生活の描写、青春時代ならではの心の機微を的確に捉えた演出、少しずつ輪郭を明らかにしていく物語の謎、美しく気の利いた音楽、脇役に至るまで魅力的な登場人物の数々、散りばめられたサブカルチャーへの言及、時間操作SFならではのツイストなどなど・・こんな風に「ライフイズストレンジ」が名作と呼ばれる所以は様々にあるが、やっぱり「時間操作」というゲーム性抜きにしては語れない。物語そのものを自分が操作するという感覚と、そこからくる圧倒的な没入感。そして何より、時間が操作できるということは、「操作できない運命」の存在を浮き彫りにする。青春学園時間SFものである本作が、そのゲーム性も通じて語ったのは「時間は決して巻き戻せない」「青春は二度と訪れない」「罪は決して消えない」という人生への皮肉でもあった。

 

 

「ライフイズストレンジ2」は一見すると、前作と全てが違う。まず、前作で最も特徴的だった時間操作の能力がない。よって、ゲーム的にプレイヤーが介入する場面が、選択肢を選ぶ程度しかない。キャラクターももちろん異なる。主人公は、父親を目の前で殺され、同時に、弟に突如として発現した「念力能力」を目撃したメキシコ系アメリカ人の男子高校生。とんでもない事態の中、一人残った弟を守ろうと、住み慣れた街と普通の高校生活を捨てて、逃亡生活を始める。前作が「学園もの」なら本作は「ロードムービー」だ。だから舞台は学校ではない。シアトルから始まった逃避行は、オレゴン、カリフォルニア、、とどんどん変化していく。

 

前作は狭い空間でたくさんの登場人物に出会い、各々の人間像を深く掘り下げるが、今作は移動劇だから、出会いは全て一過性のものである。魅力的で個性的な登場人物はたくさん出てくるが、必ず別れがくる。シチュエーションは様々、ディティールの細かさも健在だが、物語はずっとそこに止まるわけではない。主人公の兄弟は、移ろい、隠れて、人と出会い、別れ、そして「この国を抜け出す=国境を越える」という目的のためにただただ進み続ける。当然ながら、道中で起こる様々な選択肢は絶対にやり直せない。時間操作ができないから当たり前だ。劇中では、何度も何度も「戻れない」「やり直せない」ということに言及される。前に進むしかないのだ。そして最初にそのことを印象的に言及される場面で、主人公が見下ろす景色が、前作の舞台として非常に多くの人の印象に残ったオレゴンの田舎町、あのアルカディアベイである。

 

ライフイズストレンジ2は、確かに前作に背を向けているが、前作をなかったことにしているわけではない。むしろ、ある意味では前作をものすごく丁寧になぞっていると言ってもよい。時間はいじれない、運命は一方通行、つまるところ人生は厳しく難しい。この厳しさは、初代ライフイズストレンジで主人公マックスが味わったものだ。マックスは、時間操作能力からくる全能感を楽しんでいたところに、この「人生の難しさ」で思いっきり鼻っ柱をおられるわけだが、その「痛み」の延長が「2」へ続いていく。ライフイズストレンジ2では物語冒頭からこの痛みが与えられ、以降もずっと続く。

 

そういう意味で、主人公ショーンはある意味ではマックスのその後の姿でもあるかもしれない。マックスが物語終盤で直面した人生の難しさが、よりクローズアップされ、さらに深く広く、語られていく。良い奴も悪い奴もいる世界、無慈悲な差別や違法行為がある世界、生きていくのもやっとの世界、そしてたまに美しい景色がのぞく世界。過酷でリアルな世界像だ。

死んだ人は帰ってこないし、昔の友達とは会えないし、犯した罪は消せないし、通った道を戻ることができない。美しい景色はすぐに後方に通り過ぎるし、小さかった弟はどんどん大人になっていく。なんでこんなに厳しく辛い物語にしたのかと思うが、前作と見ている方向が違うのではなく、前作のテーマを掘り下げた先にこの世界観があったんだろう。それを語る上で、前作でやってきたことをことごとく捨てることが最良の選択肢だったのだと思う。

 

はっきり言って、好きかどうかでいえば、前作の方が好きだ。でも、それがイコールで本作が「よくできていない」というわけではないし、むしろ本作はやっぱり、明確に「ライフイズストレンジ」の続編だと思う。ゲーム性を捨てた先に、より厳しく辛い世界を見せてきた。青春時代が終わって、気がついたらリングに上がっていて、グローブさえつけずに世界と殴り合わなきゃいけない。そういう「痛み」を語るゲームという意味で、稀有な作品だと思う。