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自動販売機のこと

朝歩いていると目の前が影に遮られて、なんだと思ってみたらトラックで、その荷台には巨大な墓石というか棺桶みたいなものが直立しており一瞬なんだか分からなかった。真っ赤に白抜きの文字で何か書いてある。飲料メーカーのロゴである。自動販売機がこちらに背を向けて立っていることに気づくと、それが荷台に二つも三つも横並びになっているのが異様に思えた。まずもって、自動販売機が自動販売機として機能していないところを見たことがほとんどないし、後ろを向いているのをみたこともないし、運ばれているのをみたこともない。しかしこうして、目の高さよりも上で直立していると、本当に巨大な、色鮮やかな墓石じみているなあと思う。トラックは信号待ちでしばらく止まってから、どこかへ走り去っていった。

自動販売機といえば。昔、とっくに名前は忘れてしまったがどこかの社会学の先生だったかが記した文章で、自動販売機症候群みたいな名前の事例を紹介しているのがあったことを思い出した。ある種の若者を指してそう呼んでいたのだが、曰く、社会的に孤独で、孤立した若者たちが、夜な夜な人ととの関係を求めて向かう先が、人ではなく自動販売機であるという主旨。夜中に起き出して、自動販売機にワンコインを入れて飲み物がガコンと落ちてくるその反応で孤独を和らげるのだ。彼らは飲み物が欲しくて自動販売機に向かうのではなく、誰かの、あるいは何かの「反応」を欲して自動販売機へ向かうのである。そこに若者を取り巻く孤独が表象されている、、みたいな論調の文章だった。

読んだ当時はへえと思ったが、今となるとうまく信じられない。夜中の路上にポツンと光を落として低く唸る自動販売機の姿には都会的な孤独を感じさせるものがあるし、そこへ吸い寄せられるひとりぼっちの若者の姿というのもこれまさに都会的な孤独という感じがするが、この物語性のある絵面だけみれば説得力があるにしても、インターネットやなんやらが大量にある世の中にあって、あえて自動販売機と若者が積極的に結びつき合う要素はそんなにないような感じがする。詳しく読んだらこの症候群について何かわかったのかもしれないが、今となってはも分からずじまいで、なんだか「マックの女子高生が」的なカテゴリーの、リアリティがあやふやな話として自分の中に残っている。

この症候群の真偽は別として、自動販売機と孤独を結びつけてしまうのは容易なわけだが、しかし、目の前を通っていった墓石じみた自動販売機はむしろ孤独とは逆だった。自動販売機というのは当たり前にそこにあるものだと思いがちだが、やっぱりこういう風にして誰かが運んで誰かが設置して、誰かが飲み物を補充して、そのようにして社会的活動を果たしているわけである。夜中の路上で直立して静かに光を震わせている自動販売機も、その光源を辿れば誰かから授けられたエネルギーがあるのだなあと思う。こういう結論じみたところにたどり着くのが癪なんだけれども、それでも、後ろを向いて運ばれていく自動販売機の姿は、そういうことを思わせる程度には自分にとって珍しい光景だった。