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えらいところにきてしまった:ミッドサマー

最高にやばいものを観てしまった。

 

ミッドサマーは「ヘレディタリー/継承」のアリ・アスター監督の最新作。元から「白夜の中のホラー映画」という斬新なコンセプトが気になっていて、予習の意味で観た「ヘレディタリー」が怖いというより面白かったので、ミッドサマーへの期待は嫌が応にも高まっていた。その「ヘレディタリー」は今世紀最恐のホラー映画と評されるようにものすごく完成度が高い作品なのだが、いわゆる普通のホラー映画の枠をもう飛び出してしまっていて、観終わった感想が「怖いものを見た」というより「何か隅々まで隙のないやたらと完成度の高い家族ドラマを観た」という気持ちになる。オカルトホラーの皮を被った、もっと禍々しい何かを指し示す映画で、単純な怖い、という感想に収まりきらない感情の揺さぶられ方だった。

 

ミッドサマーもそういう感じかなと思って観に行った。

 

結論、もっとやばかった。

 

 

 

見終わった今だと、もうサムネイルだけでトラウマものなんです。

ほんとに怖かった。ただ何が怖かったのかって説明しづらい。

 

 

 

誤解を恐れずにいえば、「よくある話」である。大学生5人が、異国の地のド田舎の村を訪れて、その村の奇祭を体験する。で、ひどいめにあう。

 

この類の話を集めたら、古今東西で相当な数に上るはずだ。ネットの「洒落怖」においてさえ、田舎の奇妙な文化や風習に触れてしまってやばい体験をする話は枚挙にいとまがない。というか、ホラーだけじゃない。例えば日本では「犬神家の一族」とか「八つ墓村」とかみたいなミステリーだってあるわけだし。「田舎の怖い話」は無数にあるわけだ。

 

ミッドサマーも「やばいところにいってひどいめにあう」話に正面から取り組んでいるし、割とそういうジャンルの定石みたいなものはしっかり抑えてきている。なんとなーくこういう展開になるんだろうなという、そのジャンルならではの「らしさ」みたいなものも読み取れてしまうし、話の筋運びだけ見た時にとんでもなく異彩を放つ映画かと言われるとそういうわけではない。極論、村を訪れる若者たちが揃った段階で「こいつら何人死ぬんだろう」という考えが頭をもたげてしまうわけだが、それはもうこういうジャンルの必然みたいなものだと思う。

 

では、ミッドサマーは凡百のよくある映画なのかと問われれば、全くそんなことはなく。

間違いなく、唯一無二、圧倒的にヤバかった。

 

 

まず予告編からも分かる通り、というかタイトルが示唆する通り、これはミッドサマー、つまり夏至祭の話である。スウェーデンの奥地にある舞台は、夏のその時期、日が沈まない。1日中ずっと明るいということは、原っぱの草木の鮮やかさ、村人の美しい衣装、咲き誇る花々、透き通るような青空、そういうものが終始画面を彩る。ホラー映画のはずなのにインスタ映えもかくやという勢いでずっと美しい映像が続くのだ。

 

終わらないのは昼だけでなく、牧歌的な農村は祝祭に沸いており、鮮やかな風景とあいまって多幸感が続く。画面の節々で、踊ったり、戯れたり、談笑したりする村人たちのなんと幸せそうなことか。美しい映像に乗せてその村独自の風習に触れていくのだが、村人のウェルカムムードにも一切の怪しいところがなく、本当にただただ綺麗な「紀行系ドキュメンタリー」みたいな映像が続く。

 

しかし、絶妙にところどころ不安感を煽る映像が挟まれてくる。反転するカメラ、突然時間が切り替わる編集、村に飾られたタペストリー、読めないルーン文字、音の高低が狂ったような歌声で歌う人々、などなど。じわじわと、とても綺麗な真綿が首に巻きついてくる感じがする。

 

 

やばい点その2。普通のホラー映画において、主人公は大体心身ともに健康であることが多い。多少何かしら問題があったとしても、走り回ったり叫んだりしなきゃいけないわけだから、少なくとも色々な行動をするのに支障がない程度には健康的である。ところがミッドサマーでは、フローレンス・ピュー演じる主人公が「こいつをやばいところに放り込むだと・・・」と絶望しそうになるくらい精神状態が不安定である。もっとも、ミッドサマーには走り回ったり逃げ回ったりといったアクティブなホラー映画的シークエンスがほとんどないので実利上も問題ないのだが、それにしたって「やばいところにいく」映画を「すでにやばい精神状態にある」主人公を通じて体験すると言うのはスリリングが過ぎる。

 

結果として何が起こるかと言うと、「何が主人公のパニックのトリガーになるかわからない超不安定な状態の中、異常に多幸感のある村で、何かやばいことが起こりそう」という緊張感がずっっっと続く。これは本当に精神的にくる。

 

 

村人からはまったく悪意のようなものが感じられれない。その割に彼らの文化や風習にはヤバイものがあるという事が徐々にわかってくるが、それでも細かな小物やタペストリーのディテールから感じさせられる「文化的な重み」で違和感を圧殺しようとしてくる。我々から見れば異質な文化と価値観で生きている村人たちは、しかし現代社会からやってきた若者たちをむしろ大変に喜んで歓迎するし、様々な祭事へも嫌な顔一つ招き入れてくる。結果として恐ろしいものを目の当たりにしてしまうわけだが、5人の若者たちは大学の研究という名目で村を訪れている以上、現代の倫理観とはまったく異なる倫理観のもとで生きている彼らの姿は、むしろ逃げ出すのではなく近くで密着して観察したい存在なのだ。そういうわけで、物理的にではなく心理的に「逃げようにも逃げられない、というか逃げたくない」状態が作り出されてしまう過程が本当に怖い。

 

その「逃げられない」という状態になってなお、夜が訪れないという村は、より一層、異界のような趣を得てくる。初めて夜が訪れないまま日を巡ってしまったことに気づいた主人公が「もう明日になったの?」と尋ねるシーンの異界感は凄まじい。いや、白夜自体は現実世界でも起こることなのだけれども、この映画において白夜は「状況が変わらない」ということの一種の象徴でもある。つまり、現実が一向に前進しないということで、現実と非現実の狭間のエアポケットに落ち込んでしまったような不安感が終始続く。主人公たち一行がカジュアルにドラッグをやったりするので、何が現実で何が非現実かの境目が曖昧になることもこれに拍車をかける。

 

とにかくこれだけ異常・不安のオンパレードなのだが、これに加えて監督の映像作家としての手腕がばちばちに炸裂する。映像やディテールに加えて、音楽や効果音、編集など隅から隅まで徹底的に整った中、「不安が極限まで達するのだが映像的に見ていて気持ちが良い」というまさに映像ドラッグのような状態が続く(良い意味で「映画館」との相性が最悪で、特に効果音含めた「音」の使い方はえぐいの一言)。本当に映像センスが狂っているので、見ていて負担にならないし、むしろ快感がある。しかしその快感は見ている側の心理をえらく巧みに操作してくる。結果として、感覚がバグってくる。ただ人が踊っているだけのシーンがめちゃくちゃ怖く見えたかと思えば、一瞬ののち、何が怖いのかまったくわからないという気持ちになる。

 

とにかくありとあらゆる「きれい」「たのしそう」「あかるい」みたいな心のスイッチを押されながら、もう一方で「恐怖」「不安」周りのスイッチを乱打されるに等しく、そこにはジャンプスケアも無ければ、モンスターもあらわれない。延々と続く祝祭で人々が楽しそうにしている様が、なぜこんなにも怖いのか。シンプルにいってヤバイ。マジで頭がおかしくなりそうになる。観ている最中は鳥肌と冷や汗が終始止まらなかったし、後半になるにつれて怖すぎて涙が出てくるくらいだったのだが、一方で、全く怖くないという感想も十分すぎるくらい理解できる。

 

 

「ミッドサマー」は、こうした諸々のやばい要素だけでも十分に完成しているのだが、実はこれだけだと、ホラー映画として回収されてしまう映画である。この映画が「ホラー」の文脈から離れて、いびつではあるものの人の心にぐさっと残る「感動」みたいなものを残すのは、主役、フローレンス・ピュー演じるダニーの物語が強力だからに他ならない。

 

 

見終わってから気がついたのだが、実はアバンタイトルのダニーのドラマ(映画において夜のシークエンスはほぼここだけ)は、ミッドサマーの舞台になる村の狂気「だけ」を語る際には特に必要がない。だからアバンタイトル以降だけを切り取れば純粋な「やばい村のやばい話」になるし、それだけでも十分成立し得る。そうした中でもなお、アバンタイトルにダニーの物語を入れ込んだのは、明らかにミッドサマーが「ダニーの個人的・精神的な物語」を、ある意味では「村」の物語以上に、映画としてちゃんとスポットライトを与えたかったからだろう。ダニーや、特にその彼氏に「ただ惨事に巻き込まれる若者」として以上の意味を与え、ものすごく大事なものとして扱っている。そしてだからこそ、ミッドサマーの映画の恐怖は2倍3倍に増進している感じがした。

 

 

映画のプロモーションにおいても、白夜や夏至祭といった要素、美しい景色とそこで起こる恐ろしい出来事といった部分は取り上げつつも、このダニーの部分についてはほとんど触れていない。ただ、間違いなくミッドサマーを「青春映画」「恋愛映画」として見る人が生まれているのは、ダニーのトラウマや葛藤があるからだ。きっと誰もが彼女に共感するところがあるはずだし、ここの濃厚さがミッドサマーを他の「やばいところにいった」系作品と大きく異にしている要素だと思う。最後に開放感を感じるという意見もわかるし、これがハッピーエンドだという人の気持ちもわかる。恐怖なのか感動なのか、もはやよくわからないぐちゃぐちゃとした感情に圧倒される。

 

 

というか監督はこれを「ラブストーリーでファンタジー」と表現していたので、ホラー映画と比較してしまうのはちょっと違うのかもしれない。結果的にホラー映画としてのパラメーターが超優れているだけで、本当はもっと別のジャンルに置きたいと思っていたのかもしれない。

 

お化けも出ないし幽霊も出ない、モンスターも出ない、グロ描写はあるがグロ系映画と比べると多分描写は浅いのだと思う。それなのに確かにものすごい恐怖を感じるし、それは自分がこれまで知らないタイプの恐怖だった。グロいから怖いとか異様だから怖いとかではなく、強いていうなら、人間の心理が生々しく動くことの怖さというか。青空に不安になる、知らない人の笑顔に不安になる、同時に同じものに救われることにもなるその矛盾の気持ち悪さみたいなものだった。

 

 

そういう意味で、「やばいものを見てしまった」と感じた。