36℃

読書と映画と小説と、平熱的な日々のこと

ドラちゃんと老後

急に見たくなって、Amazonプライムで「ドラえもん のび太の宝島」を観たら、ドラえもんって子供向け映画だったよなあ、と疑いたくなるほど全方位向けのエンターテイメントに仕上がっていて驚く。

のび太ドラえもんの力を借りて宝探しの旅に出るという端緒はまあ分かる。シンプルに「南海大冒険」的な感じで進むかと思えば、親と子の絆、もっといえば父と息子の物語が巧妙に絡んでくるわ、伏線はすいすいと器用に回収してくるわ、熱い展開も詰め込んでくるわ、環境問題への警鐘は鳴らすわ、それでいて最後は綺麗に着地させるわ。明らかに、子供だけじゃなくて、子供と一緒にきている大人の方にもがっつり照準を向けている物語で、一から十まで全然飽きない、極彩色でフルコースのエンタメになっていた。子供向けだったよなあ、と感じるほどには、あんまり子供の方を向いていない印象すら受けたくらいだ。普通に面白い。幼少期からこんな上質なエンタメに触れた子供が、成長して大人になったときに、だいぶ目が肥えるんじゃないかと要らぬ心配をしてしまう程度に面白かった。もちろん、ドラえもん映画のエンタメ力は知っていたが、実は世代交代してから全然追っていなかったので、ここまで尖っているのかと驚いたのだった。

ドラえもんだけじゃなくて、評判の良い子供向け映画を見るたびに、子供以外の大人をちゃんと射程に入れようとしている感じをひしひしと受ける。それは全然悪いことじゃないし、昨今は映画館の料金も高いわけだから、同伴必須の大人のお客さんに少しでも楽しんでもらうという発想は全く間違っていない。

しかし、こんな妙なことも考えてしまう。つまり、こういう国民的作品の劇場版が、世相の微細な感情に物凄くしっかりとアンテナを張っていることは、分かる。だからこそ、全方位の観客に受け入れられるものになっている。それも分かる。その上で思うのは、10年後、20年後のドラえもんがどうなっているだろうと。少子高齢化社会が加速し、おじいちゃんおばあちゃんが孫を連れて観にいく機会はもっと増えるだろう。そういう世相を捉えたとき、全方位を楽しませる懐の深さと技量をもったドラえもん映画って、一体どんな物語を語るんだろう。数少ない貴重な生と近づきつつある死、衰える体と発達する技術、世代交代、文化の断絶と連携、多様化する世界と旧来の価値観の衝突、そういう深遠な話を片手で扱いつつ、もう片方の手では変わらぬ大冒険を紡ぐのではないか。

これは絶対面白い。この手の話は日常とSFの垣根が腰の高さぐらいしかないドラえもんだからこそ、物凄く活きる気がする。加えて、観客の目は10年後や20年後はもっと肥えるはずで、というか「のび太の宝島」みたいな良質なエンターテイメントを浴びて育った世代が大人になるのだから当たり前で、そうなると超ド級のハードSFと哲学に、、友情と感動をまぶしたなんでもありの壮大な大冒険が絡んでいくことになる。しかもそこには、土管の並ぶ空き地や裏山のある小学校といった、ドラえもんが残し続けた昭和的原風景もある。

カオスだけれども面白い。というか、今の時点でさえ、劇中でドラえもんが「インターネットでなんでも調べられるこのご時世に」的なことを言っていてだいぶ驚いた。その割にのび太のお父さんは今だにじんべえみたいないかにも昭和っぽい服を着ていたりする。もはや年号とか関係ない世界である。こんな具合にドラえもんの世相キャッチアップの柔軟さ、というか時代への適応能力の高さは異常だ。

そんなこんなで、数十年後のドラえもんが今から楽しみだなあと思っていたら、エンディングよ。今更なんだけども、星野源ドラえもんの歌に痺れた。「何者でもないけれど世界を救おう」という歌詞の力強さ、ドラえもんらしさがすごい。ドラちゃんはどんどんアップデートをしていく。それでも遠くにいった感じがしない。多分、我々が老後になってもそうなんだろう。そうあってほしい。