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マリオ・マリオ

今年の夏にはUSJにスーパーニンテンドーワールドが作られ、きっとオリンピックにも何かしらの形で噛みそうなマリオは、本名をマリオ・マリオと言うらしい。古き良き学級王の本名みたいなノリのネーミングだが一応公式とのこと。テーマパーク、国際イベントときて、ミニオンズの会社で映画化の話も進んでいる順風満帆なマリオだが、この「マリオ・マリオ」はずいぶん昔に出た実写映画が初出だった。「スーパーマリオ 魔界帝国の女神」がそれである。これを観た。

観て、まあなんというか、ちまたで言われているほど酷くはないなと思った。マリオを期待してみるとひどいけど、べつにマリオを期待しなければ、マッドマックスとターミネーターブレードランナーとインディジョーンズをごちゃ混ぜにして茹で上げたみたいな作風で、90年代前半のはちゃめちゃなハリウッド映画のノリを感じられて面白かった。問題は、マリオと名前がつけばマリオを期待してしまうことで、ピーチ姫が全く出てこないことや、ヨッシーがただの巨大なイグアナみたいで「REX 恐竜物語」のようだとか、今般発表されたUSJの新エリアのカラフルな色彩とは180度違う世界観とか、そういうところがどうしたって悪目立ちする。

ある意味でかわいそうな映画である。結局一番テンションがあがったシーンも、マリオとルイージの二人が映画の後半になってやっとあの「つなぎ」を身につける瞬間だった。おそらくは映画として好き放題やって、ゲームとは別の面白さをつきつめたにも関わらず、結局はマリオの影から離れられないのだ。そりゃそうか、マリオって言ってるんだから。図らずも世界的キャラクターのブランド力を感じさせられる。

マリオ役を演じた主演の方は、この映画を振り返って、受けなければよかった仕事とか、もっとも後悔の残る仕事とか、いろいろ言葉を変えてかなり絶望している。絶望しているんだけれども、蓋を開ければ劇中ではなかなかどうして良いキャラクターだった。なんだかそういうズレ、、無駄に予算がかかっていてセットが豪華なところとか、テンポの良い脚本とか、その割に丁寧なキャラと雑なキャラの扱いが雲泥の差だったりとか、ヨッシーが結局なんだったのかよくわからないところとか、いびつなところが面白い。

もっとも、当時劇場で見ていたら、面白いなんて言えなかったかもしれないんだけれども。

歪といえば、自分はすごく小さい頃にこの映画を見たことがある。けれどほとんど覚えていなかった。美容院で髪を切っているときに、天井から吊り下げられたモニターで流れているのを見ていたのだが、唯一覚えているシーンが、白い洞窟(実際に見たらこれはパイプダクトのことだとわかる)の中で、ヨッシーが舌を長く伸ばして誰かを捕まえる、というものだった。その舌の伸び方はろくろ首のようで、空中で震えながら、ずっと長く進んでいく。それを数回カットを切り替えて追うのである。そのシーンが映画版マリオのものだということだけは鮮明に覚えていて、今回、Netflixでみる時も、このシーン以外は覚えていないだろうなと思って見ていた。

当たり前のことだが、どのシーンを見てもやっぱり、何にも覚えていなかった。ただ、何より歪なのは、覚えていた唯一のシーン、ヨッシーがパイプダクトで長い長い舌を伸ばすシーンが、この映画になかったことだった。もしや続編の記憶だったのかと思って調べて見たが、興行的に失敗している本作には続編がなかった。

今になってなんだか偽物を見たような気持ちになったが、そんなことはない。この実写マリオは悲しいかな、本物なのだ。あの長い舌はどこへいったのか。時を経て見直したのに、やっぱり自分の中で、変な映画であり続けている。