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読書と映画と小説と、平熱的な日々のこと

2019年、読んでよかった本まとめ

昨年はなんか全体的に読んだ本が暗かった。

ビジネス書も小説もいっしょくたにまとめて、最後に上位だけ記載する方式。

 

 

・阿澄思惟:忌録: document X

 

4つの短編が収められたホラー小説、と分かりやすく表現してしまえばそうなるのだが、実態はそんなに分かりやすいものではない。短編4つが全て、提示される様々な断片的な記録を繋げ合わせることで全体像に迫るような内容で、いってみれば「フェイクドキュメンタリー」を文芸の形式でやったような内容。そういう意味では、「ブレアウィッチプロジェクト」や「放送禁止」を彷彿とさせる。

ただ、そうして仕組まれる「事実なのか虚構なのかわからない感じ」が、電子書籍という形式をフルに使った仕掛けや、SNSで考察されることが前提の謎かけの仕方などを通じて、本の内容それ自体で閉じずに広がっていくのが面白い。本を取り巻く状況までも巻き込んで物語にしてしまうような感じで、自分と地続きの現実が徐々に侵食されていくような恐怖を覚える。

 

 

・酒井穣:新版 新しい戦略の教科書

 

「戦略とは?」というばくっとした質問にこれ以上ないくらい明晰な回答を出してくれる本。

ただ単に「戦略」といっても、そこにはゴールやスケジュール、情報の取得方法、実践の方法などいろいろな局面があるわけで、そういうステップがあるということすら知らずに「戦略」と口に出してしまうことの危うさすら同時に感じる内容でもあった。この本の前章にあたる本が中間管理職向けの本だったからか、内容的にも準経営層というか、現場を見つつ全体を観れる人向けの内容にはなっており、具体的な実践の話というよりは全体最適的な抽象度の高い話も多かったが、それが悪いというわけでは全くなく、十分すぎるくらいに示唆に富む内容だった。

この本は折に触れて読みかえさなきゃ!と思った本の一つでもあるが、読み終わって以来読み返すに至っていない。だめだー。

 

 

桜井政博桜井政博のゲームを作って思うこと

 

星のカービィスマッシュブラザーズなど、超特大ヒットコンテンツを次々生み出した桜井氏が、ゲームを作りながら考えたことをまとめたエッセイ。ゲーム作りの裏話的な内容かと思いきや、どちらかといえば、人にどう遊んでもらうか、どうすれば楽しくゲームに触れてもらえるか、といった様々な配慮や、ディレクターとしてメンバーにどのように指示を出すか、アイディアをどこから引っ張ってくるかといった、ビジョンとその実現のために四苦八苦する姿を軽妙な語り口で記した内容になっている。自分がゲーム作りに携わっているわけではないけれど、どのジャンルでも、継続的に成功し続けた人の言葉には示唆的なものがある。

 

 

河野裕:ベイビー、グッドモーニング

 

死神の少女と、彼女が出会う「死期が迫る人々」をめぐる連作短編集。

生と死というともすれば重くなるテーマを描きながら、それでもどこか軽やかな感じのする語り口が爽やかで、読み終わった後は爽快感さえ感じられる内容。いい意味でライトノベル的な軽さ、エンタメによった感じが、テーマの重さとちょうどいい具合にバランスが取れていて、バタ臭い感じがするのに綺麗な筋立て、薄暗いのに透明感がある空気感へうまく作用していた感じがした。良い小説は読んでいて心が軽くなると思うのだけれど、まさにそういう感じ。タイトルの回収方法がめちゃくちゃうまいが、これは最後まで読まないと絶対わからないと思う。

 

 

・安永 英樹:肉声 宮崎勤 30年目の取調室

 

題名の通り、宮崎勤が取調室で語った内容の記録。

最初は犯行を否定していた宮崎から徐々に自白を導いていく刑事の手練手管を読むのはスリリングだが、それ以上に、異常者であるとされてきた宮﨑勤が時折見せる「普通」の片鱗が非常に恐ろしい。彼がなぜあのような事件を起こしたのかは様々に原因があったのだろうけれども、全く自分たちと存在を異にするわけではないと分かると、いよいよその原因にどこかで触れてしまえば、自分や、見知った誰かも彼と同じ路に入ってしまうのではないかと、恐ろしくなる。

 

 

・前田司郎:愛でもない青春でもない旅立たない

 

なんというか不思議な小説。物語が物語になる直前を目視できるとするならばきっとこんな感じなんだろう。たまたま座った居酒屋の隣の席の会話が耳に入ってきたような、気取ったところの全然ないあまりに自然な文体なのに、異世界じみた奇妙な世界が言葉の狭間から顔を覗かせてくる。大学生の主人公たちの物語は、物語として形をとるにはあまりに曖昧模糊としているし、そこから滲み出るのは瞬間瞬間を生きる彼らのどうしようもなさに過ぎないのだけれども、普通の言葉、普通の生活、普通の景色の上に、抽象的で不穏なイメージがうっすら乗っかってくることで、日常や普通、そして普通にだらしなく生きている人間の存在の薄気味悪さを感じるような気がした。

 

 

・三秋 縋:恋する寄生虫

 

新海誠が映像化したら実に会うんだろうなという正統派ラブストーリーなんだけれども、タイトルの「寄生虫」が意味する通り、普通の恋愛にどこか生物学的な要素が加わることで、SFじみた奇妙な雰囲気が漂っている。変化球の恋愛ものが読みたければ多分面白い。ラブストーリーなのに「虫」という言葉がこれに混じることで、清潔で空虚な観察箱の中で寄り添う二人を見ているような気持ちになり、直接的な感情移入はしないんだけれども、なんだか余韻が後に残る。

 

 

・野崎 まど:[映]アムリタ

 

大学を舞台に、天才的な映像作家と、彼女が撮ろうとする映画に文字通り「かき乱されていく」主人公の物語。めちゃくちゃ奇妙な小説なので、一読しないと良さが伝わりにくい気がするが、ボーイミーツガールかと思えばミステリー、ミステリーかと思えばファンタジー、ファンタジーかと思えばホラー、ホラーかと思えば青春もの、、とジャンルを縦横無尽に行き来しつつ、というかジャンルの概念すら破壊するような勢いで物語が進んでいく。大学生の話なので世界観が広がりようがないんだが、それでもものすごく広い景色を見ているようになる、でも描かれているのはすごく限られた世界の話で、そういう遠近感が狂ったような雰囲気が見事。とにもかくにも、褒め言葉として「狂ってる」を使える小説。

 

 

小松左京:霧が晴れた時 自選恐怖小説集

 

「くだんのはは」が読みたくて買ったが、正直他の作品がそれと同じかそれ以上に面白くて、くだんの印象が吹き飛んでしまった。SF作家、小松左京の自選集で、タイトル通りホラー小説に限定している。怖い、といってもお化けや妖怪的な怖さにとどまるのではなく、文明や都市といった「人間たちが集まって過ごす」ことで形成される茫漠とした「何か」の存在感が、ホラーの形をとって目前に降りてくるような感じ。なので、どこかSF的な香りが全編通して漂っている。タイトルの「霧が晴れた時」は、スティーブン・キングの「霧」というかゲームの「サイレントヒル」というか、そういう作品群と通ずるところのある名作。

 

 

川奈まり子迷家奇譚

 

この方の作品はいくつか読んで、正直どれも良かったんだが、一番印象に残った。

実話怪談というジャンルにもいくつかアプローチの方法はあると思うが、緻密なリサーチとどこか情緒のある構成のために、単なる「怖い話」の域を脱して、どこか記録文学的な雰囲気の漂う作品。一話目からその空気は濃い。自身の幼少期を振り返る随想ものだが、遠野物語のルーツを巡ろうとした子供時代の旅路に、随伴した父への思い出を重ねるという内容で、普通ならば遠野物語に絡めた怪奇を語るところがそうはならない。全編こんな感じで、怪談本ではあるのだが、一周まわって怪しい話は脇に置かれて、怪奇話を光源に、そこに関わる人間の陰影や輪郭、悲喜交々をすくいとることにメインディッシュがあるような本だった。なんとも言えない読後感があり、それは怪談本を読んだ時のそれというよりは、普通の文学作品を読んでいる最中に、ふと、オカルティックな場面に出会った時の感情に似ている。

 

 

・塩田武士:罪の声

 

グリコ森永事件に材を取ったミステリー。もちろん、作中では「グリコ森永」とは言わず別の名前に置き換えているが、事件そのものの内容はほぼ現実に起こったものをなぞっているのだろうと思う。描写の緻密さは圧巻で、リアルとフィクションの境目がわからなくなって、ぐいぐい引き込まれていく。

事件の最中、身代金の受け渡し指示で使われた録音テープが、幼年期の自身の声だったと気づいた男と、ひょんなことから(自分の手に余ると感じつつ)事件特集の執筆に首をつっこむことになる新聞記者の男。この二人の物語が交錯しながら、事件の真相が徐々に浮かび上がっていく。一歩一歩核心に踏み込んでいく構成、数多の情報が入り乱れながらも混乱させない語り口はさすがの一言。主人公二人を軸にして、作品のムードもめまぐるしく変わって飽きさせない。取材対象と記者の二人で、追うもの追われるもののサスペンスの様相かと思えば、うだつのあがらなかった記者が徐々に覚醒していく成り上がりの物語は、王道少年漫画じみた熱さがあったりと、ページを繰る手が止まらない魅力が散りばめられていた。インタビューシーンの緊張感なんかは、文字で読むのに息がつまるほど。そうした、筆力と構成力がなすエンタメとしての面白さをもって描くのは、社会や子供を巻き込んだ事件の生々しいまでの残酷さで、読み終わった後、事件の迫力、その衝撃で立ち位置を揺るがされた人々の悲哀にどうしたって想いを馳せてしまう。問答無用で感情のジェットコースターに乗せられる一作。映画化も楽しみ。

 

 

・ハンス・ロスリング他:FACTFULLNESS

 

事実!事実こそが大事だ!と言いつつ、ほぼほぼ全ての人間が事実とは別の思い込みに支配されている。それはしょうがない、人間は思い込んでしまう生き物だ、だから陥りやすい思い込みの「傾向」を明らかにして、事実を正しく見れるようにしていこうという本。世界は思っているほど悪くなっていないし、世界で問題とされていることの多くはいうほど深刻ではない。そういう、一見すると容易に受け入れがたい事実が次々と提示されていく。

大事なのは「これは事実ではない」という反証それ自体が重要なのではなく、「事実とされていることが本当に事実なのか」を見る目を養うことなのだろう。事実に対する反論に、それが反論だという理由それだけで飛びつくのではなく、事実を事実として強く信じてしまう人間の姿勢そのものを分析していく内容になっている。だから、極論、世界が本当に良くなっているか悪くなっているかがこの本の問題なのではなく、良いと思い込んでしまうこと、悪いと思い込んでしまうこと、その二つどちらにもかかる人間の心理の弱さを気づかせてくれることにこの本の良さがあると思う。いかにも海外のビジネス書らしく全体的に分量が多いが、著者個人が「思い込み」によって失敗してきた事例をあますことなく記載してくれていることで、上から目線で語られるような感じもなく、全体的にものすごく読みやすい。めまぐるしく変わる世界の中で、危機感を持って身構えなきゃいけないこと、大丈夫だと信じていいこと、そういったことを選別する目を養ってくれる、まさに増強剤みたいな本だった。

 

 

・北野 唯我 :このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法

 

終身雇用の崩壊とか色々言われる中で、キャリアブランディングって大事だよねという論が盛り上がる中、意外と表立って語れれない「転職の攻略法」を説いた本。ちなみに転職が最善の選択肢であるというわけではなく、自身のいる業界や業種、職業の趨勢を見た上で、自分の市場価値を最大化するための方法をとるべきという本なので、転職の本というよりはやっぱり「キャリア」についての本だと思う。

意外と、「仕事」そのものに焦点をあてるような話は多くあれど、その「仕事」が成立する業界とか環境にまで視点を広げて、遠近感がある状態で「仕事」の価値を語り直すような論法の本を読んでなかった。全体通して読みやすいし、読み終わってからも、数年後を考える思考の風通しがよくなったような気持ちになれた。非常に良かった一冊。

 

 

 

5位:郷内心瞳:逆さ稲荷

 

去年に堂々完結を見た実話怪談系一大エンターテイメント「拝み屋シリーズ」の三作目なんだけれども、シリーズ全体を通してこの巻が他とは違う方向で印象に残ったのでピックアップした。

拝み屋シリーズは、宮城で拝み屋を営む作者の郷内さんが、自身が体験したものや、依頼として持ち込まれたもの、もしくは単純に人から聞いた怪談話を収めているのが大筋になっている。三作目の「逆さ稲荷」も、そうした形式は踏襲しつつも、なぜ自身が拝み屋という特異な職業につく羽目になったかを物語るエピソードゼロ的な要素が多いのが特徴で、幼少期まで遡っての体験談が多く収められている。

幼い頃はお化けや妖怪といった「怖いもの」を、怖がりながらも楽しんでいた郷内さんだが、成長するにつれ、徐々に洒落にならない怪奇と相対しなければならなくなっていく。やがて怪奇を生業としなければならなくなるある事情が勃発するのだけれど、それは同時に、慣れ親しんだ、「ちょっと怖いけれどもどこか可笑しい」怪奇の世界との離別を意味してもいた。

そんな筋立ての本書は、怪談本ではあるのだけれども、成長することの辛さや切なさ、慣れ親しんでいた物事の見え方が変わってしまう恐怖が描かれている。見知った景色、親しんだ人や物事が、ある瞬間に自分の中でがらっと意味を変えてしまう衝撃、知らなければ良かったという悲しさに出会う機会は、怪談に限らず誰にでも少なからずあるはずで、怪談本なのに妙に普遍的な、青春小説のような趣がある。

そういった怪談本に似つかわしくない哀切を散りばめながらも、いわゆる普通の怪談も無数に収録されていて、かつこれが物語のノイズに全くならない。更には印象的な大どんでん返し、そして読後に全く見え方が変わるタイトルの「逆さ稲荷」といった言葉含めて、最初から最後までピシッと構成されていた。ただ怪談話をやみくもに羅列しているのではなく、構成上のある目的に沿って配置しつつ、物語的な筋をこれに絡めることで、小説的な面白さと純粋な実話怪談集の面白さが両立していた印象がある。これ以降の作品はどちらかにぐっと偏るのだけれど、「逆さ稲荷」はそのバランスが抜群に良く、読後の切なさも見事だった。シリーズから切り離して一つの作品として見ても、すごく印象に残った。

 

シリーズのレビュー:一大怪談エンタテイメント:拝み屋怪談シリーズ

 

 

 

4位:牟田 和恵 :部長、その恋愛はセクハラです

 

ジェンダー的な話云々という枠を飛び越えて、「これは社会で働く人は読んでおいた方が良いのでは?」と感じた本。こういう恋愛をしたらセクハラになりますよ、という話を発端に、それがなぜそうなるのかまで踏み込んで解説した本になっている。

面白いのが、一般論としてこういうことはしちゃだめだよ、という話は当然周知のものとして、なぜ「ダメだとされていること」に知らず知らずのうちに人が踏み込んでしまうのかを、事例を踏まえながら解説していくこと。悪事はなぜ悪事なのかの根拠以上に、悪事はなぜ悪事と認識されずに実行されるのか、を解剖するような本といえばいいか。結論としては、「行動」それ自体が問題なのではなく、人間関係における「思考」と「距離感」にこそ火種が潜んでいるという話になるのだが、そうなるともう男女云々ではなく、社会生活を営む全員が胸に刻んでおいた方がよい「配慮」についての話になる。

読みおえて、恋愛やセクハラ、あるいはジェンダーの話以上に、人間関係の機微、理解しあうことの難しさをこれでもかと見せつけられた気持ちになった。同じ物事を一方が問題視して片一方はなぜそうならないのか、その時に双方の間でどういう現実認識が行われているのか。そういう事例を読んでいくうちに、一度形作られた認識がそのあとのすべての行動の原理になれば、もう問題の修復は困難になり、お互いが異なる現実、異なる言葉で語ることの不毛さみたいなものも感じる。言ってみれば、現実対現実のぶつかり合いで、それはセクハラ云々関係なく、社会生活を営む以上、日常的に起こり得る悲劇だ。

誰しもが、そうとは知らずに社会的な悪人になり得る可能性を説かれている。そう書くと大げさかもしれない。でもやっぱり、女性対男性の話、つまりはジェンダー的な問題をめぐる話として以上に、人対人、現実対現実、社会のそこここに潜む普遍的な無理解と不思慮についての問題に読めてしまった。お互いにお互いのものの見方があり、それは必ずぶつかっていくということ。知らず知らずのうちに相手のある種踏み込んではいけない領域に入っているかもしれないということ。うーむ、人間って難しいと思うと同時に、気をつけなきゃなと背筋を正したくなる本だった。

 

 

 

3位:花田菜々子:出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年のこと

 

なんだかすごいタイトルだが内容もすごかった。人と会って話を聞き、その人にあった本を勧める。それだけでも結構な労力だと思うのだが、それを70人分、一年間繰り返した人の本。ちなみに出会い系サイトとあるが、いかがわしい感じのものではなく、話し相手や相談相手を探すようなSNSらしい。本書の中ではサービス名が描かれていなかったけど、そういうサイトもあるのかと知った。世の中にはいろんなサービスがあるもんだなと。

タイトルが荒ぶっているのだが、内容的にはNHKの良質なドキュメンタリーのように品行方正だ。世の中にはいろんな人がおり、いろんな悩みを抱えている。そういう悩みを聞く側にも、相応の悩みがある。人生の長い道のりは地雷原のように悩みが散逸していて、歩くほどに足を乗せてしまうリスクが常につきまとう。でも地雷を踏まないようにと慎重になればなるほど、前へ進むことはできない。本書の筆者もある悩みを抱えていて、完全に足が止まってしまう。そんな中で自分を取り戻して一歩を進むために、自分が得意で好きだった「人にあった本を勧める」行為に立ち返り、修行僧のようにこれを繰り返していく。そうした中で、様々な人と出会いながら、少しずつ立ち直っていく。そんな過程を描いた本。

人々との出会いと対話、悩みと解決。そうしたドラマの節々に差し込まれる良書の紹介の数々。一粒で2度美味しいといたくなるのは、この本を読むと元気になるし、更にこの本をきっかけに様々な本と出会えるから。この本自体が、大なり小なり様々な悩みを抱えているであろう読者に向けた「本を勧めまくる」本であり、同時に、読めば間違いなくパワーがもらえる本。

 

 

 

2位:水上 滝太郎:銀座復興

 

タイトルになっている「銀座復興」の銀座は、関東大震災の後に崩壊したかつての繁華街銀座を指している。短編集で、収められている短編の数は多くはないけれども、そのどれもが珠玉の逸品だった。銀座復興しかり、市井の人々のささやかだけれども逞しい様を描いた作品が多い。

特にその趣が強い「銀座復興」では、焼け野原のようになった銀座の土地で小料理屋を営む夫婦を中心に、店に集まる人々の会話を通して徐々に街が機能的にも精神的にも立ちなおっていく様を描いていて、舞台があまり変転せず会話が中心だからか、どこか舞台劇を見ているような趣があってよかった。

この作品以上に心に残ったのが「九月一日」で、この日付はまさに関東大震災の起こった日。前半は瀟洒な別荘地を舞台に描かれる若者たちの美しい恋愛譚で、恋だけでない年頃ならではの悩みを描きつつ、挟まれる風景描写や独特の倦怠感混じりの日常風景などが艶やかで美しい。かと思いきや中盤以降は一転、地震の発生によって地獄絵図のように景色が一変する。前半の日常風景があまりにしっかりとしているので、途中で作者が急に思い立って地震の話にしようとしたのかと思うくらい、唐突かつ決定的に物語の在り方が一変する。そうした急転直下な事態の中で、若者たちが災害、あるいは運命の苦難から命がら逃げていこうとする、その人生の最初の一歩を描いたようなラストが凄く印象に残る。終盤、とても小さな、些細なあるものの動きに胸を打たれる二人の姿が印象的。カメラでいえば引きの絵とクローズアップが巧みに、かつ極端に切り替わようでめまぐるしいのだけれど、それが災厄に見舞われた人々を取り巻く状況の荒々しさに重なるようで、だからこそそこで生きる人々の姿が印象的だった。

こういう風に書くとものすごくドラマチックな話に聞こえるのだけれども、全体のトーンとしては、なんだかそこにいる人々に寄り添うような感じの、目線が地面から近いというか、そういう温度感が全体にある。当時の人々の話し声を聞いているような気持ち。誇張しずぎもせず、矮小化するわけでもない。素描みたいな感じなのだけれども、小説としてちゃんと構成されている不思議な感じがあって、読み終わった後のずしりとした心地よさが良かった。

 

 

 

1位:藤田祥平 :電遊奇譚

 

この本は2019年の結構前半に読んだのだけれども、読みながらの最大瞬間風速で「これは今年一位かも」と思い、しかもそのまま一年の最後まで行き着いてしまった。IGN Japanで連載していたゲーム関連のコラムを書籍化したものだが、普通のゲーム系コラムは大体「ゲームの紹介」に終始するところが、この作品の場合は一味も二味も違う。具体的には、ゲームを題材にして文芸的な短編を書くことに振り切っている。とはいえ、エッセイとしての土壌から逸脱することはしないので、結果的に作者の人生の物語を糸に、ゲームというキーワードを針にして、紙面に様々な人間的な感情を編んでいくような内容になっている。

ゼルダの伝説バイオハザードゼビウスやUndertale、ダービースタリオン。。そうした数々のゲームを題材にとりつつ、巧みな文章と構成力で、家族や友人との物語、青春や勝負についての物語が描かれる。読んでいて、どうしてこんなに胸にくるのだろうと思ったのだけれど、おそらくはこれが「ゲームについてのエッセイ」ではなく「ある人生の側面についての実感」を記しているものだからだろう。そして極めて同時代的なのだ。とにかく、僕らの世代においては、ある時代の人々が音楽を、ある時代の人々が映画を、ある時代の人々がスポーツを、その時代を象徴的に語る言葉として消費したのと同じように、僕らの世代においては「ゲーム」がこの枠組みに入れることができる。そういう世代としては、おそらくは最初の世代なんじゃないかと思う。日常に当たり前にある風景の、その延長線上にゲーム的なものがある。ゲーム的なもの、つまりどこか現実味を欠いたバーチャルで、リスタートが度々示唆され、グリッチがある世界観は、僕らにとっては言葉を尽くされるよりも前にすんなりと腑に落ちてくくる。だから、このエッセイを読んでいて、誰か他人の話をされているような気にはならなかった。ものすごく同時代的なものを感じたし、ここに語られている言葉で、自身の一人生の側面を綺麗に、正確に記されているような気持ちになった。

試みとして小説的なところに偏りすぎず、あくまでエッセイの体をルールのように化した構成も面白い。電遊奇譚は永井荷風の濹東綺譚のオマージュらしく、それ以外にも、各話ごとにイメージとして参照した文学作品が複数列挙されている。そしてそのどれも、元の小説を読んでいるとなんとなく「わかる」と感じる重ね方なのだけれども、かといって直接的にモチーフを参照したりするわけでもない。そういう風に巧みに文学的なところに落ち込むのを回避しつつ、ギリギリのところで哲学的な思索なんかを混ぜ込むようにしていて、とにかく文章をすごく遊ばせて、楽しんで書いているような感じがした。何かの形式に当てはまりに行こうとするのではなく、自由に呼吸しながら書いている感じもすごく好印象だった。

この本は折に触れて読み返すだろうなと思った。文学でもなくエッセイでもない。でも文学でありエッセイである。そういう曖昧さがあるのに全編通して力強く、同じ時代を生きている人の実感みたいなものが、遊ぶように楽しむように書き連ねてある。読んで良かった文章というのは心に残るだけでなくて、自分の中のある側面を照らして輪郭をあらわにするような効果があると思うのだけれど、間違いなく自分の生きている時間みたいなものの存在を身近に感じさせてくれた本だった。